日本経済
キシダノミクス、ついに始動
岸田総理大臣の経済財政政策(いわゆるキシダノミクス)が、6月の「骨太の方針」の公表を皮切りに、この夏スタートする。
2022.06.01
- 岸田総理大臣の経済財政政策(いわゆるキシダノミクス)が、6月の「骨太の方針」の公表を皮切りに、この夏スタートする。これが来年度予算と規制改革の政策土台となる。
- 「骨太の方針」では、主に1)脱炭素に向けた複数年の大規模投資、2)経済安全保障への支出、3)資産所得倍増計画、4)法人税および金融所得税の改革、5)2%のインフレ目標達成、に注目している。
- 岸田総理の支持率が高いことから、「骨太の方針」に盛り込まれた政策案は実現する可能性が高い。脱炭素化、経済安全保障、金融分野に投資機会があると我々は考える。
岸田内閣は昨年10月に発足して以来、新型コロナの感染再拡大やエネルギー価格高騰への対応に追われ、主な経済改革を打ち出させていない。コロナ後の経済正常化に伴い、岸田総理の経済財政政策(いわゆるキシダノミクス)がこの夏ようやくスタートしそうだ。政府は6月にその経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)を発表する予定で、これが来年度予算と規制改革の政策土台となる。この基本方針は、岸田総理の「新しい資本主義」政策目標の具体策である。
本レポートでは、我々が投資機会があると考える主な政策項目について重点的に取り上げる。特に、1)脱炭素に向けた複数年の大規模投資、2)経済安全保障への支出拡大、3)資産所得倍増計画、4)法人税および金融所得税の改革、5)2%のインフレ目標達成、の5つの分野に注目している。岸田政権の支持率が約60~70%と極めて高いことから、骨太の方針に盛り込まれた政策決定事項は閣議決定され、次年度予算と税制改革に影響を与えると考える。
脱炭素に向けた大規模投資
地球温暖化に向けた大規模財政計画をすでに打ち出している米国やユーロ圏と同様、日本政府は民間セクターからの拠出と併せて、今後10年間に国内総生産(GDP)の約27%に相当する総額150兆円超の投資を計画している。その狙いは、2030年までに政府の新たな発電目標を達成することだ(図表1参照)。
政府の審議会の報告によると、エネルギー資源の転換、製造過程における脱炭素化、インフラ建設、研究開発の推進が、主たる新たな投資分野である。骨太の方針案の目玉は、今後10年間の政府によるグリーン経済への投資目標を賄うグリーン・トランスフォーメーション(GX)経済移行債(仮称)の発行計画だ。 我々は、政府の力強い後ろ盾により日本企業の脱炭素化に向けた行動変容が加速し、投資家と企業のどちらにも機会をもたらすと考えている。蓄電池、水素技術、デジタル化など海外との関連性の高い新技術が、世界的な投資と協働による恩恵を受ける可能性がある。また、満期が長期となるGX経済移行債という新たな国債の発行も、日本の国債市場を活性化させるだろう。
経済安全保障への支出拡大
骨太の方針案によると、政府は経済安全保障投資を大幅に増やす計画である。1つ目に、自民党は骨太の方針の公表に先立って、今後5年間で防衛予算をGDPの2%に徐々に倍増させることを提案している(図表2参照)。宇宙防衛、サイバーセキュリティ、人工知能(AI)やドローンなどの先端技術に対する予算も積み増す可能性が高い。
2つ目に、エネルギー安全保障の改善に向けて、政府はロシア産エネルギーへの依存度を引き下げるために、新たなエネルギー供給網の構築を模索している。日本のロシア産エネルギーへの依存度は、原油では4%にすぎず、天然ガスでは9%、石炭では11%とさほど高くはないが、エネルギー価格の上昇を受けて、企業は省エネ技術を活用したエネルギー費用効率の改善を目指すだろう。
3つ目に、半導体やレアメタルなどの主要製品の安定供給を確保するために、政府は自社のサプライチェーンのセキュリティの改善に取り組む日本企業に対して、財務的な支援提供や補助金の引き上げを行う計画だ。
エネルギー、防衛、サプライチェーンに関連した国内投資の増加は、経済成長を刺激し、投資機会を生み出すだろう。防衛費の増額は宇宙防衛やサイバーセキュリティ企業に追い風だ。また、深刻な労働不足を踏まえると、国内投資はオートメーションやロボティクスを後押しするだろう。
資産所得倍増計画
5月5日のロンドンでの講演で、岸田総理は今年、資産所得の倍増に向けた新たな計画を発表すると表明した。その概要が6月の骨太の方針に盛り込まれる予定であり、詳細は年末までに「新しい資本主義」の実行計画案の中で明らかになるとみられる。
日本の家計は2,000兆円という巨額の金融資産(GDPの3.6倍)を保有しており、その半分以上(54%)が現金や銀行預金の形で保有されている(対して米国では13.3%、ユーロ圏では34.3%)(図表3参照)。
骨太の方針案によれば、この計画にはNISA(小額投資非課税制度)の拡充などが含まれる。また、デジタル化や脱炭素化といった政策テーマに投資する個人への税優遇措置も盛り込まれる可能性がある。学校や企業による金融教育に対する予算支援も組み込まれる公算が大きい。
詳細が不明なため、この影響について考えるのは時期尚早だ。岸田総理は昨年10月に金融所得課税の引き上げを示唆していることから、この政策で資産所得を倍増できるのかについては市場は懐疑的に見ている。だが、貯蓄から投資への移行を促すための税制優遇措置、金融教育など成人勤労者への教育支出、金融セクターのスタートアップ支援は、家計の現金・預金の支出を促す可能性がある。
所得税および法人税の税制改革
拡大した予算への資金捻出のために、岸田政権が増税するのではないかとの懸念がある。最近、自民党の委員会が法人税率の引き上げ支持を表明した。現在、日本の法人税の実効税率は29.7%であり、仮に増税ということになれば1984年以来となる。
仮に2023年度に法人増税を行う場合、政府はその悪影響を相殺するために、設備投資や賃上げに対する税制優遇措置を講じる可能性がある。最終的には貯蓄から投資への移行を企業に促したい考えだ。
法人増税以外では、政権内で金融所得課税の引き上げが議論されている。現在、金融所得課税(キャピタルゲイン、配当所得、利息収入等に対する課税)の税率は20%である。岸田総理は以前、富裕層と低所得者層との所得税格差を縮めるために、金融所得課税の引き上げを提案したことがある。
だが、岸田総理の側近である木原誠二内閣官房副長官は最近、金融所得課税の引き上げは政策の優先課題ではないと述べた。更に、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標について、昨年まであった2025年度とする目標が骨太の方針案から消えた。また、政府の資産所得倍増プランを考えると、こうした増税は当面ないとみている。
日銀の2%インフレ目標
金融政策は日銀の管轄だが、政府は日銀が掲げる2%のインフレ率目標を共有しており、骨太の方針案には、「持続的・安定的」な2%のインフレ率の実現目標が盛り込まれている。
4月の生鮮食品を除くコア消費者物価指数(CPI)は2%をつけたものの、日銀の黒田総裁は、足元の高いインフレ率は主にエネルギー価格の上昇によるものであり、したがって一時的だと繰り返し述べている。そのため、金融政策の正常化を始める必要はないとの考えだ。骨太の方針に「持続的・安定的」という文言を盛り込むことで、日銀が今の緩和的な金融政策をしばらく据え置くことを政府は期待しているものと、我々はみている。
我々は、2022年に日銀が金融政策の正常化または政策の引き締めを行うとは考えていない。だが、需給ギャップがプラスになるほどGDP成長率が力強く回復する場合には、日銀は、10年国債利回りが0.25%を超えることを容認する可能性がある(図表4参照)。10年金利の上昇が容認されない場合は、金融セクターは4–6月期(第2四半期)から第3四半期の景気回復や緩やかな賃金上昇による恩恵を受けられないだろう。
また、日本の10年国債利回りの変動幅を調整することにより、日銀は2022年のドル円レートを125円近辺で安定させることができるだろう。年末の10年国債利回りは引き続き0.3~0.4%と予想する。
UBS SuMi TRUSTウェルス・マネジメント株式会社
チーフ・インベストメント・オフィス 日本地域最高投資責任者(CIO) 兼日本経済担当チーフエコノミスト
青木 大樹
さらに詳しく
2016年11月にUBS証券株式会社ウェルス・マネジメント本部チーフ・インベストメント・オフィス日本地域CIOに就任(UBS SuMi TRUSTウェルス・マネジメント株式会社の営業開始に伴い2021年8月に同社に移籍)。以来、日本に関する投資調査(マクロ経済、為替、債券等)及びハウスビューの顧客コミュニケーションを担当。2010年8月、エコノミストとしてUBS証券会社に入社後、経済調査、外国為替を担当。インベストメント・バンクでは、日本経済担当エコノミストとして、インスティテューショナル・インベスター誌による「オールジャパン・リサーチチーム」調査で外資系1位(2016年、2年連続)に選出。
また、テレビ東京「Newsモーニングサテライト」やBSテレ東「日経モーニングプラス」など、各メディアにコメンテーターとして出演。著書に「アベノミクスの真価」(共著、中央経済社、2018年)など。UBS入社以前は、内閣府にて政策企画・経済調査に携わり、2006-2007年の第一次安倍政権時には、政権の中核にて「骨太の方針」の策定を担当。2005年、ブラウン大学大学院 (米国ロードアイランド) にて経済学博士課程単位取得(ABD)。